まだ若かった頃、ある男性の所作に見とれたことがあります。
特別なことは何もしていません。扉を開けて、後ろの人を先に通す。ただそれだけです。でも、その動きがあまりに自然で、押しつけがましさが一切なかった。ああいう大人になりたいと、素直に思いました。
真似をしてみると、思っていたのとは違うことが起きました。女性との距離が縮まる、というのは確かにあります。ただ、それ以上にはっきり変わったのは、まったく別の方向からの評価でした。
今日は、物理的な距離の詰め方について書きます。ただし、テクニックの話ではありません。結論を先に言えば、特定の人にだけやった時点で、それは全部見破られます。
土台がないと、同じ動作が逆の意味になる
先に、身も蓋もない前提を書いておきます。
清潔感と普段の行いがない人が同じことをすると、まったく逆の意味になります。扉を開けてもらったのに、なぜか身構えてしまう。近づかれた瞬間に、警戒が走る。
所作というのは、単体では意味を持ちません。誰がやるかで、意味が決まります。同じ「背中に手を添える」でも、片方はスマートな案内になり、もう片方はただの接触になる。この差は、その場でつくものではなく、それまでの積み重ねでついています。
だから順番としては、まず「女性の近くにいても嫌がられない男」になることが先です。ここができていない状態で所作だけ真似ると、事故になります。
所作に意味を与えるのは、動作そのものではなく、それまでの積み重ねである。
まずは、扉を開けて先に通す
土台があるなら、あとは形から入って構いません。私がいちばん使うのは、これです。
扉を開けて、後ろの人に先に入ってもらう。
店の入口、ビルのエントランス、会議室。日常にいくらでもある場面です。開けたまま体を半歩ずらして、相手が通れる幅をつくる。それだけで済みます。
ここで大事なのは、相手に判断させないことです。「お先にどうぞ」と言葉で促してもいいのですが、言われた側は一瞬「いいのかな」と迷います。その迷いを消すのが、次に書く所作です。
触れたと気づかれない加減
扉を開けて先に通すとき、私はほとんど触れたと気づかれないくらいの軽さで、背中を促します。
強さでいうと、触れるか触れないかです。手のひらを相手の背中の方向に向けて、行き先を示す。実際には布に触れる程度か、まったく触れていないこともあります。それでも「促された」という感覚は、ちゃんと伝わります。
むしろ、これは重要なので強調しておきます。触れなくても成立します。というより、触れないほうが上手いのです。
目的は、相手の迷いを消して、先に通すことです。接触そのものには何の意味もありません。触れた感触が残るような強さでやった時点で、それは案内ではなく別のものになります。
そしてもうひとつ。相手が少しでも身を引いたら、その瞬間にやめてください。肩がわずかに動く、歩幅が変わる。合図は必ず出ます。読めないなら、最初から手を出さずに言葉だけで促せばいい。それで十分に成立します。
この「わずかな加減」を身体で覚えるという意味では、動きそのものの質を上げるほうが近道かもしれません。雑な人がどれだけ気を遣っても、雑に見えてしまうので。
最大のコツは、誰にでもやること
ここからが本題です。この記事で伝えたいことは、正直これ一つだけです。
老若男女、誰にでもやってください。
お目当ての女性にだけやると、必ず見破られます。相手は、あなたが他の人にどう接しているかを見ています。比較対象がある状態で特別扱いをすれば、それは特別扱いとして正確に伝わります。そして「この人は、私に何かを期待している」と読まれた瞬間、警戒が立ち上がる。
逆に、全員に同じことをしていれば、そこに読み取るものは何もありません。ただの、そういう人です。意図が読み取れないから、警戒のしようがない。
そして、もっと本質的なことがあります。全員にやっていると、下心そのものが消えていきます。
意識してやっているうちは特別な行為ですが、習慣になると、やらないほうが気持ち悪くなる。そこまで来ると、もう演技ではありません。誰にでも丁寧に接するという話を別に書きましたが、あれと完全に同じ構造です。
年配の男性が、照れた顔でお礼を言う
実際に全員へやってみると、予想していなかったことが起きました。
いちばん反応が良かったのは、年配の男性でした。
扉を開けて先に通すと、少し照れたような顔でお礼を言ってくださる。あの世代の男性は、扉を開けてもらう側になる経験が少ないのだと思います。だから、うれしいけれど少し面映ゆい、という顔になる。
そして、これが後から効いてきました。その人たちから、ジェントルマンとして見てもらえるようになったのです。
考えてみれば当然でした。私は下心の延長で始めたつもりでいたのに、返ってきたのは女性からの好意ではなく、男性たちからの評価だった。しかも、そちらのほうが仕事でも人間関係でも、はるかに効きます。
特定の人に向けた所作は、その人にしか届かない。全員に向けた所作は、見ている全員に届く。
英国紳士も、たぶん同じことを考えていた
ここからは完全に私の想像なので、そのつもりで読んでください。
英国紳士のレディーファーストというものがあります。あれも元をたどれば、女性を口説くために編み出された習慣なのではないかと思うことがあります。
起源には諸説あり、事実として確かめたわけではありません。ただ、動機が何であれ、それを全員に対して、何世代も続けた結果として「紳士」という言葉が残ったのだとしたら、それはそれで大したものだと思うのです。
始まりが不純でも構わない、ということです。続けているうちに、動機のほうが後から変わっていく。私の場合も、憧れと下心から始めて、今は単なる習慣になりました。
今日からできる、3つのこと
今日から、扉を開けて先に通す。相手を選ばない。コンビニでも会社でも構いません。相手が男性でも、年配の方でも、子どもでも同じようにやってください。選んだ時点で、この習慣は効力を失います。
手は、触れるか触れないかで止める。行き先を示すだけで十分です。感触が残るなら強すぎます。自信がなければ、手は使わず言葉だけで促してください。それでも成立します。
相手が引いたら、その場でやめる。これが唯一の絶対条件です。所作は相手のためのものであって、自分がやりたいからやるものではありません。
まとめ
物理的な距離を詰める方法を探している人は多いと思います。でも、その答えは技術の側にはありませんでした。
扉を開けて、先に通す。触れたと気づかれない軽さで促す。そして、それを誰に対してもやる。この最後の一つが抜けると、前の二つはただの下心に見えます。
若い頃に憧れたあの男性が、なぜあれほど自然だったのか。今なら分かります。あの人は、私に見せるためにやっていたわけではなかった。誰に対してもそうしていただけです。だから自然だったし、だから見ていた私にまで届いた。
特定の人にする所作は、見破られる。誰にでもする所作は、人格になる。



